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40代半ばの1993年、新規分野での事業展開を考え、中国の東北財経大学に入学しました。約7千人の学生がいる大学で、寮生活も経験しましたが、これが人生の転機となりました。当時の中国は、日本にとっては身近な存在ではなく、今のようにメディアで毎日報道されるようなことはありませんでした。こうした中、秋田は中国東北部と地理的にも近いので気質的にも合うところがあると感じ、自分が日中間の懸け橋になりたいと思いました。それで、翌年の1994年に会社を設立しました。
これまで、茸の菌床に使うとうもろこしの芯、田圃の融雪・土壌改良に使う木炭の粉など、お客様の要望に応え、様々な商品を取り扱ってきました。貿易には、言葉の問題、代金決済等、いろいろな問題がつきものですが、そうしたリスクを自社が引き受けながら問題を解決してきました。日本の生産者は品質や納期に厳しいのですが、中国の企業の方は日本人の考え方や行動様式とは違いますので、品質に対する要求レベルも異なります。品質に対する中国人の意識を、日本側の要求レベルに合わせていくのが大変でした。せっかく日本に輸入しても不良品になれば、返品のために今度は輸出をしないといけません。場合によっては大変な損失となります。
現場で、時には自ら赴き、中国側の商社と徹底的に話し合い、粘り強く交渉しました。中国側のパートナーは、誠実な人柄で中国人として高い誇りを持つ人物です。そのパートナーと信頼関係を積み上げ、今では20年来の付き合いになります。中国人の良い所は、明るく、バイタリティがあり、誇りを持っているところです。
中国とは今後もこれまでどおりつながっていくつもりです。中国は人口が多く、大国であることには間違いありません。また、ASEANでの事業展開についても進めていきたいと思います。海外展開では、品物の交流だけではなく、人同士の交流も重要です。日本人の良いところを残しながら外とのつながりを良くしていくことが、日本が国際社会で生きていくには必要なことと思います。また、日本はいま、特に輸出に力を入れていますが、日本だけではなく皆が豊かになることが大事であり、そのためには、それぞれの国で産業の育成をする必要があります。世の中が豊かになっていくことに、地方の小さな企業でも貢献できると思います。