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当社は昭和35年に創業し、住宅部材のメーカーとして成長してきました。当然ながら当時の住宅は和室が当たり前でしたので、張天井や建具を製造していたわけです。しかし、時代とともに生活の洋式化が進み、和室の需要は減少してきました。利益が減ることは会社の存続に直結しますし、雇用の維持も難しくなります。そのため、コストダウンを図り利益を確保するために中国に進出し、現地で生産を始めるようになったのが海外事業のスタートでした。
しかし、個人の生活様式が多様化する中で現状のビジネスのままでは成長できないと判断し、新たな販路を海外に求めるべく、海外業務担当として、けい子取締役がビジネスモデルのリサーチを行なったことが現在につながっています。
2006年から1年かけて、ビジネスモデルの模索やマーケティングリサーチを行ないました。ジェトロのビジネスマッチングを利用し、海外とのコネクションを構築していく中でオランダのバイヤーの方と巡り合い、スクリーンの需要があることを知りました。2008年に県のフェニックスプラン21に応募し採択され、支援を受けることができたため、初めて海外視察を行ない、いくつかの展示会を見て回って本当にスクリーンが売れるのか調べたところ、確かな需要があることと、ほとんどが中国製で品質に課題があることも分かったのです。そこで産業技術センターの協力をうけ、当社の技術で独自にスクリーンを開発しました。新商品をメゾン・エ・オブジェ(フランス:パリ)のジェトロブースに出展したところ高い評価をいただいたことから海外展開していくことにしたのです。これまで継続して海外活動を行い、いろいろな人とつながりを持つことに注力しました。おかげさまで貴重なアドバイスや、厳しい評価をもらいながら現在に至っています。
やはり言葉の問題が一番でしたでしょうか。私の以前の仕事で英語の素地はありましたが、30年近く話していなかったためすっかり頭から抜けていたのです。英語のメール文をつくるのに一晩中かかったりしましたから。若い頃と比べてなかなか頭に馴染んでこず、必死に勉強をやり直しました。海外のパートナーの方は日本語が話せるのですが、あえて私のために英語だけを使うといったスパルタ教育のおかげもあり、何とか戻しているところです。
当たり前なのですが、相手のニーズを尊重するということでした。日本の老舗と言われる私たちメーカーにはありがちなのですが、自分たちの想いだけで製品を作っていました。日本の伝統美に基づいた、高品質の製品というプライドがありましたが、国が違えば文化も価値観も変わってきます。つくり手だけの考えに囚われすぎると、決して受け入れてはもらえません。相手のどんなニーズにも対応できる柔軟性は、海外展開をする上では非常に大事なことだと思いました。
いろいろな支援機関の協力で積極的に海外で活動することができ、海外とのコネクションを広げることができています。その流れの中でロシアとウィーンの企業とパートナー関係を構築することに成功し、現地の高級インテリアショップで販売することができました。ここを基点にヨーロッパ各地へ販路を広げていきたいと思っています。また、海外ではインテリアとして和室の需要があることを知り、ユニット家具のように組み立てることができる「和室ユニット」を開発しました。現在ウィーンのインテリアショップにモデルルームを展示しており、こちらもビジネスとして発展させたいと考えています。