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秋田県庁から2008年に、シンガポールの伊勢丹で行われる「北東北フェア」にあきたこまちを輸出してほしいという依頼を受けたことが始まりです。その時は、秋田県内では米を海外に輸出をしているという話は聞いたことがなかったため、組合員からは「海外に米を出して本当にお金がもらえるのか」と反対されました。しかし組合の事業を拡大させることで、若い人に農業に興味を持ってもらい、担い手不足の解消にもつなげられるのではないかと考え、輸出をしてみようと決意し、「私が責任を持つ」と組合員を説得しました。
最初にシンガポールに輸出したときは、為替レートの影響を受けてしまいました。10月に契約したのですが、翌年3月の支払いのときには円が高騰してしまい、そのあおりを受け30万円程損してしまいました。長年、農業に携わっていますが、このような経験は初めてだったので、海外との取引することの難しさを痛感しました。
最初に失敗してしまいましたが、やってみたことでシンガポールは現地の日本人向けにとどまらない、幅広い需要がありそうだと感じました。それからは現地の卸会社とお互いの国を行き来するなど公私ともに良好な関係を築きながら、米の輸出を拡大させていきました。
また秋田県産以外の米も輸入したいという取引先の要望を受け、2014年には兵庫県の会社と共同で、米の輸出を行う秋田屋株式会社を立ち上げました。今は秋田県産のほか、組合以外から仕入れた新潟県産や山形県産の米も輸出しています。
2018年度はシンガポールだけで175トンを輸出しました。組合でも組合員の高齢化が進み、担い手不足が課題となっています。水田の環境整備や職場環境を整備するとともに、輸出量も増やしていき、若い人たちが農業に参加してもらえるような取り組みをこれからも進めていきたいと考えています。